◇◇◇
「太智殿、迷惑をかけて本当に申し訳ない!」
誰もいない校舎裏まで俺たちを連れて来ると、アシュナムさんは勢いよく土下座した。
立った状態から土下座ポーズになるまで、一秒もかからなかった。
なのに土下座の形を取るまでの動きがすごい丁寧で、芸術性すら感じてしまうほどだ。何度も練習しないと身に着かないきれいさ。
こっちの世界へ来る前に風習とか歴史とか調べて、必要になると思って練習したんだろう。ケイロに対して怒った姿ばかり見てきて、怖い人というイメージが強かった。けれど、真面目で責任感が強い人なのだと分かって、前よりも親しみを覚えることができた。
「いえ、むしろ勝手に動いてすみません。あのままだとケイロが学校に居づらくなりそうな気がしたので……」
「ここしばらく相手の動きがなくて、我々が焦ってしまった結果です……殿下も太智殿もお怪我はありませんか?」
アシュナムさんが顔だけ上げて俺たちをうかがう。
俺は大立ち回りをして軽く疲れた程度。
でもケイロはその前から戦闘していたし大丈夫なのか? と、俺も距離を取りつつ横に立つケイロを見る。一見すると問題がないように見えたが、ケイロはカッターシャツの裾をめくり上げて腹部を晒し、赤く腫れ上がった爪痕を見せてきた。
「ヤツらが現れた時に奇襲を受けてな……一撃を食らってしまった。こっちの服を着ていたおかげで威力は軽減できたがな」
白い腹に痛々しい痕を目の当たりにして、俺は顔をしかめてしまう。
「……なあ。もし肌に直接攻撃されたら――」
「肌が裂かれて血しぶきが飛び散るな。下手すれば手が千切れる……首なら即死だな」
「やっぱりかぁぁ……最悪、全校生徒がトラウマ持ちになる惨劇になりそうだったんだな」
俺の顔からサァーッと血の気が引く。ちょっと油断したら倒れるぐらいの引きっぷりだ。
でもケイロは平然と
◇◇◇ケイロを引き連れて保健室へ行くと、既に事態を知っていたのかソーヤさんが消毒液とガーゼを用意して待ち構えていた。「お待ちしておりました殿下! 早くベッドへ――」「ソーヤ、お前は邪魔だから出て行け。アシュナムと合流して、運動部の部室裏と用務員室を調べに行って来い」本気で心配する臣下を、ハエでも追い出すかのようにケイロが手で払う仕草をする。おいおい、いくらなんでもその態度はないだろ……。 俺が頭を痛めていると、ソーヤはハッと息を引いてから俺とケイロを交互に見る。そして気まずそうに目を逸らした。「わ、分かりました。あの、部屋の鍵は……」「もちろん閉めていけ。誰も入れさせるな」一瞬、俺に気の毒そうな視線を送ってから、ソーヤさんは持っていた手当てセットをデスクに置き、「……失礼します」と保健室から出て行く。そ、そんなあっさりと……あの、コイツと二人きりって、嫌な予感しかしないんですけど。俺が呆然と突っ立っていると、ケイロは自分からパイプ脚のベッドへ腰かけ、上の服を脱いだ。「太智、早く手当てしてくれ」「あ、ああ……ん? お前にこっちの薬って効くのか? ってか魔法で回復しないのかよ?」「その薬は俺たちの世界から持ってきた物だから普通に効く。あと回復魔法は魔力の消費が激しいから、なるべく使いたくないんだ。こんな打ち身程度に使うなどもったいない」魔法も万能ってワケじゃないんだなあ、と興味津々になりながら俺はケイロの腹部を手当てしていく。こういう処置は部活で慣れている。けど、ケイロに近づいてやらなくちゃいけないから、体が疼いて落ち着かない。ケイロの肌に指先が触れると、手が小さく震えて、腰の奥が甘く痺れる。 緊急事態だっていうのに、俺の体が不謹慎で泣きたい……こんなエロ変換体質が離婚するまで続くなんて――。さっさと終わらせてコイツから離れるに限ると、手早く済ませて俺は手当てセットを片付けようとした。その時、「俺から離れるな、太智」手首を掴まれたと思ったら、グッ
「あ……っ……く、ぅぅ……やめろ、ってぇ……汚い、から……」「きれいにすれば問題ないんだな?」おもむろにケイロは俺の胸中央に手を当て、小さく呟く。ザァ……ッと全身の肌を、生ぬるいお湯でも流れていくような感触が広がる。表面だけじゃない。口内も、尻の奥も、ぬるい感触が撫でていく。指先までそれが行き渡ると、妙にさっぱりとした爽快感がやってきた。身を清める魔法。なんて衛生的で、親切で、そんな魔法が存在するほどケイロの世界はエロが盛んなのか? と思わずにはいられない。「ン……お前なぁ……魔力、切れかかってたんじゃねぇのかよ……」「これは消費が少ないから問題ない。子供でも使える初歩の魔法……覚えてみるか?」一瞬、便利でいいかも……と思ったが、すぐに考えを変えて俺は首を横に振る。「……やめ、とく。いいようにコキ使われそうだし」半分だけの本音。もう半分は、今よりもケイロたちの世界に深く関わるようになって、本当にこっちの世界へいられなくなりそうな気がして怖いという弱音。そんな俺の不安などお見通しなのか、ケイロはどこか宥めるように俺の頬や額に柔らかく口付けながら囁いてくる。「気が変わったらいつでも言え……どうせ俺の世界へ行けば、堅物の魔法教師に教わることになる。俺から教わったほうが楽だと今の内に言っておくぞ」「ケイロ……っ、そん、なこと言って……できるまでイかしてやらない、とか言って焦らしプレイする気だろ……ぁ……」「よく分かってるじゃないか。さすがは俺の嫁」分かって当然だろぉ……! この短期間でどれだけ振り回されていると思ってんだ!お前がクールなフリして、中身は俺相手におっ勃てられる悪趣味などエロ好きっていうのはよく分かってんだからな?恨み節のひとつも言ってやりたいけれど、体をあちこち触られて、もう俺の口からは嬌声しか出てこない。せめて反発くらいはしたくて、力なく握った拳でケイロの胸をポカポカと叩くが、あまりのか弱さに泣けてくる。ささやかな文句すら許さないとばかりに、ケイロは俺の手首を掴み、腕を開いてベッドに押さえつけた。「……俺から逃げられると思うなよ、太智。手放してなんかやらない……お前は俺のものだ」あまりに熱い眼差しを送られながら宣言されて、俺は呼吸を忘れる。どうしてそこまで言う?苛立ち紛れで結婚したんじゃないのかよ? お前
ああ、今ごろホームルームだろうな……。俺がこんな目に合ってるなんて、誰も思わないだろうなあ。同じ校舎内のことなのに、当たり前だったハズの日常が遠い。人生を丸ごとケイロに巻き込まれた感がひどくて悔しさすら滲む。それなのに、「ん……むぅ……、ぅ……っ……ンン……」キスと愛撫に溺れていく俺の体は、もう甘ったるくて快楽に従順だ。情けない声しか出てこない。掴まれていた手首が解かれ、そのままずり上がって指を絡められた瞬間、胸の奥がやけに引き絞られて息が詰まった。このまま最後まで――と完全に心が行為のすべてを望んでしまったのに、ケイロは俺の下半身を全部暴いてから体を離した。「ぁ……え……?」「お前に褒美をやると言っただろ? 今すぐやめろと言うならやめてやるし……俺との婚姻も破棄したいと言うなら、聞いてやってもいい」ケイロ……お前、今それを言うか?心から望んでいたハズの選択をチラつかされて、俺は思わず息を引く。……でも、それ言ったら楽にしてくれないんだろ、体?体も頭もお前に弄ばれて、今すぐ欲しくてしかたないんだけど……っ。唇をパクつかせて言葉を出そうとするが、声は出ない。何度か息を詰まらせ、吐息を漏らして……それからようやく震える声でケイロに告げた。「いつもの、やって……お前ので、ぐちゃぐちゃに……」「……こういうことか?」俺のヒクついて誘う尻へケイロが指を這わせると、掠れた小声で呟き、俺の中へ粘ついた液体を注いでくる。魔法ローションはズルい。そ
◇◇◇保健室のあれこれを味わい尽くした後、どうにか部活を終えて帰宅――といきたいところだが、俺は休みたい気持ちをグッと堪え、隣の百谷家へ足を運んだ。「……ちわー。失礼します」リビングへ行けば、既に帰宅していたケイロと百谷先生たち――ソーアさんとアシュナムさんが、気難しい顔を突き合わせて何か話し込んでいた。だけど俺に気づいた途端、ソファに座っていたケイロが真っ先に俺へ振り向き、やけに表情を輝かせてきた。「よく来たな太智。早くこっちに来て座れ」真横の座面を指でトントンと叩くケイロに、俺は頬を引きつらせる。「そこに座れってお前……何考えてんだよ。嫌に決まってんだろ」コイツの傍に近づくと、俺の体は疼いておかしくなる。発情スイッチを付けられて強制発動させられるようで、すでに俺の中で不本意と理不尽がカンストを起こしてしまっている。しかも今日は部活前に濃厚な関係を持ったばかり。いつも以上に触れるな危険状態だ。俺はいつも通りにケイロから距離を取り、ソファの端に腰かけた。「俺が来るまで、あの黒い狼の襲撃のことを話してたのか? 今までもあんなことあったのか?」俺の質問に三人がまばらに首を横に振る。「あそこまで大規模な襲撃はなかった……太智殿の手を煩わせて本当に申し訳ない」アシュナムさんがまた土下座しそうな動きを見せて、今度は俺が全力で首を振って制止させた。「もう済んだことなんで気にしないで下さい! あと、土下座はそう何度もやるものじゃないですから……やり過ぎると効果が弱まって、逆に軽薄な印象を持たれます」「そ、そうなのか。難しいな、異世界の風習というのは……」眉間に深いシワを作ったアシュナムさんに苦笑してから、ソーアさんは表情を引き締めて眼鏡の端を上げる。「まさか彼が罠を張っていたとは思いませんでした……ケイロ殿下に言われた通りに運
◇◇◇夜、俺は自室のベッドの上であぐらをかき、腕を組んで唸っていた。「違和感……うーん、マジで思い浮かばないな……」できる限りの友人知人を思い出してみるが、誰も引っかかってこない。もし敵が変装していれば、何かしら違和感に気づくと思う。だってケイロたちでさえこっちの世界の常識に苦労していた。敵だって同じようなものだろう。ケイロの嫁になっちゃって、あっちの世界のものを認識できるようになった俺なら、魔法で認識阻害していても効かない。みんなが無反応でも、俺だけは気付ける。だけどケイロたちみたいに浮いた言動をするヤツはいなかった気がする。あと、ケイロたちが引っ越して来た当初はテスト勉強に気が向いていたから、余計に気づきにくくなっていたかも。隣の庭が光っているのを見た時からは、百谷家ウォッチングに集中していたし。変わり映えのない日常よりも、隣のファンタジーに目が向くのは当然だ。見落としていたとしても、俺は悪くない。ケイロたちがファンタジー満載なのが原因だ。うん。もう無理、諦めよう……と中断したい。でもそんな気になれない。どうしてもケイロの腹部が頭を過って、敵を放置できなかった。今回はでっかいミミズ腫れで済んだ。けど、これからそれ以上のケガを負ってアイツが傷つくかもしれないと思うと、胸の奥がソワソワして落ち着かない。……なんで俺、アイツの心配してんだよ。嫁化が進んだ? いや、この心配はむしろオカンだ。俺が嫁化してるなんて、絶っっっっ対に認めねぇ――。本来の内容から頭の中が脱線してきた頃、「まだ考えていたのか。案外と真面目だな」突然真横からケイロの声が聞こえてくると同時に、ぷにっと頬を指で突かれた。「ひゃぁぁ……ッ……こ、こら、急にこっち来るなぁ! あと触んな……っ!」ゾクゾクゾク
「ケイロ、これを読めばバスケのことがよく分かるぞ」「本……? バスケの指南書か?」「指南書ってほどじゃないんだけど……これ、バスケ漫画。読み方は分かるか?」俺が差し出した漫画をマジマジと見つめながら、ケイロがコクリと頷く。「一応はな。こっちの世界の娯楽のひとつということで、少しだけ嗜んだ」「へえー。どんな漫画を読んだんだ? 男性向けの剣と魔法のアクションものか? それともラブコメ展開なハーレムものとか?」「男女ともに随分と目が大きくて、異様に輝いていて、自分の考えを素直に言えずに誤解が誤解を呼んで面倒なことになるということの繰り返しで、読んでいて腹が立った」……読んだのは少女漫画か?そりゃあ我慢せず好き勝手しまくるお前には、素直になれない繊細な青少年たちは理解しがたいだろうな。王子様だから我慢する必要ないし。完全にジャンルの選択をミスってるよなあと思いながら、俺は漫画をケイロの前に置いた。世間ではバスケット漫画の最高峰と言われている、一巻から最終巻まで熱い展開が詰まったレジェンド作品。これを読んで熱くならない男子はいないと思っている。俺は真顔になってケイロの目を見た。「まずは五巻まで貸してやるから、四の五の言わずに読め。序盤は主人公がバスケ初心者だから、解説でバスケのルールが挟まったりしてるから参考になると思う」「ほう、それはありがたい」「あと最初から展開が熱いから。読んで止まらなくなると思うから! もし続きが読みたいと思ったら、勝手に来て続きの巻を持って行ってもいいから! とにかく読め。そしてハマれ」「……ここまでお前が熱くなるとは……分かった。心して読もう」珍しく俺の迫力に圧されたのか、ケイロが若干たじろぐ。なんか、ちょっとだけコイツに勝ったような気がして嬉しい。得意気になって胸を張っていると、ケイロが漫画を手にして立ち上がる。そして、「で
◇◇◇ケイロにバスケ漫画を見せたのは、ある意味正解だった。バスケがどんな球技で、どんなことをすればいいのか、大体理解してくれた。高校三年の全教科書を暗記して、テストで良い成績を出せるほどだ。憎らしいほど頭が良い。昼休みや放課後に一対一でバスケをしたら、そりゃあもう華麗なドリブルで俺をあっさりとかわし、ド派手にダンクシュートをかましてくれた。「おおおっ! すごいじゃねーか! バスケ初心者とは思えない動き!」「……? 漫画の主人公も、初心者でダンクを決めていたではないか」「いや、あれはルール無視のダンクだったから。お前のはちゃんと試合で通じるダンク」「ディフェンスを倒していないが、それでいいのか?」「バスケは格闘技じゃないから倒さなくていいんだよ! むしろ倒しちゃダメ。得点の多さで勝敗決めるものだから!」プレーはすごいのに、まだまだ認識が初心者なケイロにツッコミを入れながら、俺は思ってしまう。スゲーよ、漫画読んだだけで……球技大会レベルじゃないからな、それ。しかも長身イケメン。プレーのひとつひとつが絵になる。悔しいけどかっこいいし、見惚れそうになってしまう。いくら認識阻害の魔法を使っていると言っても、このプレイで学校中が大盛り上がりする未来しか見えない。さらに細かいルールを教えて、これで本番も大丈夫と俺は太鼓判を押したんだが、ケイロは納得しなかった。「もう少し付き合え。やっと楽しくなってきたところだ……太智、あの鼻息荒くしながら全方位防御する技をやれ。俺が抜いてやる」「漫画のアレか! 現実じゃできないヤツだから。無理だからっ!」「なんだと?! 左手は添えればいいと呟けば、ゴールできるというまじないは有効的なのに、物理の防御は非現実的とは……」「あれは魔法の呪文じゃねぇよ! ゴール狙う時のコツを忘れないように呟いてるんだよ!」しっかりルールも技術も身に着けたけれど、漫画の内容が
大量の本に囲まれたその空間へ足を踏み入れた瞬間、「んん……?」思わず俺は首を傾げてしまう。なんというか、別の世界に入ってしまったような違和感がある。出入口付近にあるカウンターには、本来図書委員がいるハズなのに誰もいない。中も静まり返っていて、廊下からの雑踏が消え、無音の世界に閉じ込められたような……。あんまり図書館へ来慣れていないせいか、ここは俺がいる世界じゃない気がして落ち着かない。早く賑やかしい放課後の体育館へ行きたくてたまらなくなる。「百谷、何もないなら行くぞ」俺が促してみると、ケイロは辺りを見回してから首を横に振った。「……魔力の痕跡がある。少し待っていろ。回収する。……風の精霊よ、根幹の力を集め、我が元へ――」そう言いながらケイロが片腕を広げ、小声で呟きながらゆっくりと奥へ進んでいく。するとケイロを取り囲むように半透明の淡い緑色した光球が次々と浮かび、蛍のようにフワフワと室内を飛び交い始めた。キレイだなあと心から感動しつつ、俺のRPG好きの血が騒ぐ。もしかしたら今の俺でも何かできちゃったりして。それはもう安易な気持ちで、俺は今まで聞いてきたケイロの呪文っぽいものを思い出して呟いてみた。「えーっと……風の精霊よ、我が目の前に現れたまえ……なんちゃって」……チッ、何も起きないか。残念。ただの中二病を発症させただけに終わって、俺は誤魔化すように視線を逸らして小さく咳をする。と、「……あ……」小さな淡い緑色の光球がひとつだけ、俺の顔と向き合うように浮かんでいた。他の光球はせわしなく動いているのに、それだけはジッと動かず、俺にその姿を見せ続けてくれた。「ほう、見様見真似で精霊を使役できるとは……
俺とケイロは頻繁にパスを回し、ゴールに近づきながら魔物たちに当てていく。バシュッ、バシュッ、と火の玉ボールが黒い靄の魔物たちを貫通すると、そのまま蒸発するように消えていく。中庭で襲われた時よりもあっけない気がする。もしかすると質より量で攻めてきたのかもしれない。それに俺がボールを持つと、魔物たちは一様に様子見に回るが、ケイロにボールが渡った途端に魔物たちの動きが活発化した。体当たりや引っ掻き攻撃を仕掛けたり、龍は上から青い炎の息を吐き出してくる。こんな総攻撃を仕掛けられら、一般男子の俺なら直撃必至だ。だけどケイロはそれを敵チームのパスカットを避ける体でドリブルしながらかわし、時にはジャンプして上手くよけていた。傍から見れば、ケイロが鮮やかな神プレイ連発。華麗にドリブルシュートをケイロが決めた瞬間、わぁぁぁ……っ、と館内が歓声で揺れた。「ナイス、百谷!」「やっぱり坂宮が入ると百谷の動きが違うな。伸び伸びしてる」チームメイトの声を聞いて、心の中で俺は苦笑する。そりゃあ俺とパスの応酬できたら、黒いモヤモヤに攻撃しまくれるもんな。実質、攻撃の回数が倍増するようなもんだ。ボールを持っていない時は魔法のみで攻撃できるけど、試合しながらだから集中できない。身の安全を考えれば試合どころじゃないし、本来なら試合を抜け出して、別の場所で戦闘したいところだろう。そうすれば本気の力でやれるから戦いやすいだろうが、ケイロが抜ければ試合は確実に負ける。王子という何かあってはいけない立場。しかも異世界の学校の球技大会なんて、どう考えても優先順位は最底辺になるだろうに、それでも試合は捨てない――。一度欲しいと思ったものは絶対に狙い続ける性格。頭良いのにアホだ。そんなケイロの欲張りな一面に付き合う俺自身も、同様にアホだと思うしかなかった。ケイロがボールを持っている間は、火を常時つけていた。ドリブルついでに魔物に当てて倒し、敵チームに迫られたら俺へパスを出し、ちょっとボールをキープしてから
◇◇◇体育館へ駆け付けて館内を目の当たりにした瞬間、俺は口をあんぐりと開けて立ち尽くしてしまった。大勢の生徒が集まり、騒ぎながらバスケの試合を観戦する中。中央で試合をする生徒たちに混じり、黒い靄で作られた獣っぽいものが何匹も徘徊し、ケイロを狙っていた。前に襲ってきた狼っぽいヤツ。鳥や鹿、水牛や虎、ヒグマみたいなものも見える。上のほうでは竜っぽいものまで飛んでいやがる。バスケをしながらケイロは魔法で攻撃するけれど、すぐに別のヤツがやってくる。……あっ! 応援する生徒たちと一緒に、他の色々な形のヤツらが控えて、様子をうかがってるじゃねーか!暗黒の怪獣大戦争状態。もしくは昼下がりの百鬼夜行。こんな中で孤軍奮闘なんて、普通の神経なら心が折れている。俺なら絶対に降参して逃げ出していると思う。「ケイロ……」思わず俺は名前を呟いていた。目の前のヤバいさで心臓がバクバク鳴って、見苦しく叫び出したい衝動に襲われる。でも今は落ち着いて現状を把握しないと……。深呼吸してから、俺は改めて周りを見渡す。あからさまに敵が集まっていても、この場ではケイロと俺しか分からないという現状。ソーアさんやアシュナムさんの姿を探すけれど見当たらない。同時に襲われて、ここに駆け付けられない状態だと察するしかなかった。ケイロは試合しながら器用に敵と戦っている。パスが回ってきてボールを取れば、ドリブルで敵を避けつつ火の玉パスで攻撃。両手が自由になれば防御のフリして、アクションゲームみたいに光球手の平から出して戦っていた。一匹一匹は大したことがないのだろうが、これだけの数を相手にしつつ試合をするというのはキツい。というか、まず無理だ。これを二人で相手にするのも厳しい。でも、一人よりは断然いい。俺は意を決して自チームの控えへ駆け出す。ちょうど試合は敵チームにゴ
◇◇◇保健室に行くと鍵は開いていたが、保険医であるソーアさんの姿はなかった。昼休みで他の先生方とご飯でも食べているんだろうと思いながら、俺は悠をベッドに寝かす。唸りながら横たわる姿が本当に苦しげで、俺も同じように顔をしかめてしまう。「大丈夫か? 今すぐ百谷先生探して、胃薬出してもらえるよう言ってくる――」「……ここにいて、太智。お願いだから……」悠が俺の手を掴んで引き止めてくる。調子が悪いと心細くなるものだし、そんな時に保健室でひとりというのは辛いものがある。でも待っていてもソーアさんがいつ戻るか分からないし、時間が無駄に過ぎていくだけだ。それに決勝の試合だってある。悠には悪いが、いつまでもここにはいられない。どうにか宥めて納得してもらおうと思っていると――ギュッ。悠の指先が深く俺の手に食い込んだ。「次の試合に出ちゃいけない……危険だから……」悠の言葉に俺は体を強張らせる。危険って……悠、まさか……。妙な動悸で頭がクラクラとしてくる俺を、悠は体を起こして必死な眼差しを向けてきた。「他のみんなは問題ないけれど、太智だけはあっちの世界のことに影響を受けちゃうから……」「……っ!」「絶対に行かないで。ここで僕の看病から離れられなかったことにして欲しい」間違いない。悠は異世界の関係者だ。引っかかっていた疑惑が確定してしまい、俺は激しく動揺しながら尋ねた。「あっちの世界って……悠、お前、どこまで知ってんだ? 危険ってどういうことだよ!?」「ごめん、詳しくは言えないんだ。僕に許されているのは、本来は無関係なのに巻き込まれた太智を守ることだけ」ケイロたちが前に言っていたことが頭の中を過る。俺と一緒
◇◇◇「すごいね二人とも! 決勝まで行っちゃうなんて」昼休みに一旦教室へ戻って昼食を摂っている最中、悠がホクホクとした笑顔で声を弾ませた。「いやー、百谷が本気出しちゃってさ。もう独壇場。コイツが点取り出したら誰も止められないぞ」言いながら、なんか旦那自慢しているような気がして背中がこそばゆい。でも事実は事実だし、貸した漫画さながらのプレー連発を湛えたくてたまらない。だってダンクだけじゃなくて、三点シュートも打てるし、ドリブルシュートも華麗に敵を抜いて決める。ディフェンスが手を伸ばして妨害してきても、軽く後ろに跳びながらシュートもいける。守りに回ればパスカットと相手ドリブルからボール奪取連発。もちろんゴール下のこぼれ球はハイジャンプでがっちりゲット。速攻で俺にボールをパスして、すぐさまダッシュで敵陣までケイロは移動したところで俺からパス。そのままシュートで得点追加。観衆の中には例のバスケ漫画を知っているヤツもいるようで、「あのシーンの再現じゃん!」と嬉々とした驚きの声も聞こえてきた。珍しく俺が表立って褒め称えていると、ケイロがあからさまに嬉しそうな笑顔と視線を向けてくる。「全部俺の手柄だと言いたいところだが、パスを上手く出したり、俺が望んだ位置に先回りしている女房役がいる。おかげで俺も身動きが取りやすかった。決勝もこの調子で頼む」……コイツの口から女房役なんて言葉を出されると心臓に悪い。まさかここぞとばかりに嫁自慢でもしてるのか?ケイロと目が合って、思わず俺は照れて視線を逸らす。二人だけしか分からない、甘い空気が薄っすらと漂ってこっ恥ずかしい。優勝したら、また褒美をくれてやるって散々抱いてくるんだろうなあ。ああクソっ。分かりたくないのに、ケイロの言動が手に取るように読めちまう。弁当を食べながら心の中で頭を抱えていると、「百谷、坂宮、大変だ!」バスケでチームを組んでいるクラスメートたちが、俺たちの元へ駆け付ける。やけに切羽詰まった顔をしていて、俺は首を傾
◇◇◇こうして無事に迎えた球技大会は、一回戦から盛り上がりを見せた。ただの校内イベント。テキトーにやって、負けたらのんびりおしゃべり――と誰もが考えていたと思う。俺だって去年の時はそうだった。負けたら暇つぶし。まあそれも悪くないって。だけどケイロだけは違った。「いいか、俺にボールを回してくれたなら必ず得点する。このチームの負けは許さないからな」バスケのチームは五人。控え三人。ケイロの事情や正体を知らないクラスメートは、あからさまに「え……?」「も、百谷?」とざわついた。そりゃあ今まで人を寄せ付けなくて、クールで謎が多い転校生。周りと仲良くする気も、合わせる気も皆無なヤツだと思ってたのに、まさかチームの勝利に固執するとは想像しなかっただろう。こんな時にサポートするのが、強制女房役な俺の役目だ。「あー……実はさ、百谷ってバスケ上手いんだよ。部活には入ってなかったけど、漫画の影響でストリートバスケやってたって」「ええっ、そうなのかよ……漫画で影響って意外だな」「こう見えて、あのレジェンド級バスケ漫画の信者。たまに漫画のシーンとか真似したりするかもだけど、温かい目で見てやってくれよ」俺の説明にチームの戸惑いが薄れていって、気がつけば「なんか親近感持てる」とケイロに温かな眼差しを向けるようになっていた。当のケイロは若干解せなさそうに顔をしかめていたけれど、俺は心の中で贅沢言うなと呟いておく。これでお前が重度オタク認定されそうな漫画のワンシーン再現なんかやっちゃっても、チームが動揺してまともにプレイできないなんて事態は避けられるんだからな。むしろ先読みして手を打った俺に感謝して欲しいくらいだ。うん。自分の仕事ぶりに自画自賛している中、ついに俺たちの第一試合が始まった。開始直前、俺がセンターより右側の位置につこうとした時、ケイロがポツリと呟く。「開始はアレしかないな……
サァァッ、と血の気が引いて駆け寄ろうとした俺を、ケイロが手を上げて制止する。特に大火傷も焦げ付きもないと分かって、心底ホッとしながら俺は声をかけた。「わ、悪い……大、丈夫だったか?」「これぐらいは想定の範囲内だ。問題はないが、雑念は捨ててパスに集中しろ」雑念はお前のせいだからな!? と一度心の中で叫んでから、俺は深呼吸をして気持ちを落ち着ける。いくら俺を振り回すアイツに腹が立つにしても、ジュッと燃やしてケガなんてさせたくない。魔法であっても火を扱うなら慎重に、というのは世界が違っても同じなのだろう。「次行くぞ。しっかり取れ」ケイロからパスが飛んでくる。やはり火の揺らめきが迫ってくるとドキッとするが、俺は逃げたくなるのを堪えてボールを取る。一瞬、手の平に熱を覚えたが、ストーブに手をかざした時くらいの温度。まったく怖くないと分かってからは、今までと変わらない調子でパスの応酬をすることができた。◇◇◇ケイロとのバスケを切り上げて部活へ向かった後も、俺は野球でサードを守りながら練習していた。練習試合で俺の所にボールが来たら、すかさず取ってファーストに投げ渡す。その瞬間に火を灯して魔法の自主練もしてしまう。こっちの人間相手に少し火を点ける程度ならほぼ影響ないみたいだし、火傷の心配はない。普通にボールが体に当たるのとなんら変わらないから安心だ。野球の球に火が点いて飛んでいく光景は、どんな野球少年でも夢見るような魔球そのもの。俺しか分からないのが残念だなあと思っていたら――。――ファーストを守っていた悠が、身を縮めてボールを避けた。「……悠?」まさか、火が見えてる?この火を見られるのは、ケイロたちと同じ世界の住人か、俺みたいに結婚させられてあっちの住人にされてしまったヤツだ。悠とは子供の頃からの付き合いだから、あっちから来た人間じゃないとは思う。でも、俺みたいにあっちの人間にさせら
頬を引きつらせながら睨む俺に、ケイロは口先でも謝ることなく話を進めてくる。「まずはボールを持ってパスの構えを取れ」「こ、こうか?」「そのまま投げる動作をする際に、ボールを強く意識しながら『火の精霊よ、共に駆けろ』と口で命じれば火をまとう」「……それだけでいいのか?」「ああ。これでボールが相手に渡る瞬間に火が消える」なるほど、じゃあさっきのボールも俺が完全に取っていたら火は消えていたのか。事情が分かれば安心して取れる。でも、手元が狂ったって言ってたよな?他にも何かある気がして、俺はケイロの顔をうかがう。「やればすぐできそうなんだけど……注意点とかあるか?」「思考が乱れると火の精霊が混乱して、内容にブレが生じる。だから投げることに集中する必要があるな」「……さっき俺にパスした時、百谷は何か考え事でもしてたのか? 手元が狂ったなんて言ってたの、気になったんだけど……」「図書室のことを思い出して、今晩は大智をどう啼かせようかと考えていた」まさかのむっつり発言に、ブハッ、と俺は吹き出してしまった。「考えるなぁ……っ! あと明日に響くから、今日はやめろ。頼む、マジで。一試合も保たずにスタミナ切れ起こしそうだから!」どれだけ俺とヤりたいんだよ!?コイツ、本当に顔と中身にギャップあるな。むっつりエロ魔人め……。一回が長いし、始まったら一回で済まないから寝るの遅くなるし、体力がっつり使い果たしちまうから寝ても全回復できねぇ。だから体育の授業が午前中にあったら、いつもよりバテるのが早い。そんな状態で球技大会に出たら、初戦の途中でバテて無様な姿を晒すことになっちまう。俺の切実な訴えに対して、ケイロが不敵に笑う。「却下する、と言いたいところだが、校内の行事でも負けるのは嫌だからな。明日
◇◇◇体育館に行くと、ケイロは自分から進んでバスケットボールを取りに行き、ゴール下で軽くドリブルをし始めた。「太智、肩慣らしにパスの練習に付き合え。可能なら俺の真似をしろ」「……? ああ、いいぞ。さあボールくれよ」自分を真似しろだなんて、随分と自信あるんだな。やけにケイロの鼻高な言動が引っかかったが、俺は何も考えずに胸元で両手を構える。ビュッ、とケイロからボールが素早く投げられる。――間近に迫るボールの周りに、火の揺らめきが見えた。「なぁ……っ!?」思わず俺は身を翻してボールを避ける。ダン、ダダン……と体育館の端にボールが跳ねていく。追いかけて拾おうとすれば、まだ薄っすらと火が点いていて、俺は慌ててドリブルしまくって鎮火した。「こぉぉぉら! 百谷ぁ……っ!!」元に戻ったボールを抱えて、俺はケイロの元まで疾走して迫る。感情任せに怒鳴りたいところだが、どうにか小声に抑えつつ全力で訴える。「お前なぁ……火の魔法を使うなよっ! 他のヤツらはともかく、俺は火傷しちゃうだろ!」「すまない、手元が狂った。太智に届く手前で火が消えるはずだったんだが……まあこれで分かっただろう。さあ、お前も同じようにやってみてくれ」至極当然といった様子で、ケイロがさらっと信じられないことを言ってくる。思わず俺は拳を握って震わせた。「ついさっき初めて精霊出せた人間にやらせようとするな!」「……? 俺はそうやって叩き込まれたんだが」それはもう不思議そうな顔で、ケイロが首を傾げる。皮肉でも自慢でもない、本心からの言葉。いきなり王族の裏事情が垣間見えて、俺は思わず押し黙ってしまう。スゲー呑み込みの早い天才肌だと思ってたけれど、実はそうならないといけない状況に迫られ
どうして俺をそんなにお前にハマらせたがるんだ!?できることなら胸ぐらを掴んで、思いっきり揺さぶりながらケイロに聞いてしまいたい。でもコイツに触られてしまうと脱力して、そんな気概も気力も奪われて骨抜きになってしまう。熱く溶けてしまった目でケイロを見つめながら、薄く開いた唇を持ち上げ、俺は新たなキスを強請る。もうこれが答えだと言いたげに、ケイロの目が笑う。そして俺の体が望んだままに唇を近づけて――。「古角、そこにいるのか?」若い男の声が聞こえてきて、俺たちはハッと我に返る。小さく舌打ちしながらケイロが離れ、俺はかろうじて戻ってきた力を振り絞って、崩れ落ちないよう膝に力を入れた。俺が本棚から顔を覗かせて声の主を見ると、そこにはボサボサ髪の冴えない男――司書の舞野〈まいの〉先生がいた。「こっちにはいませんよ。古角なら、さっき俺たちと入れ違いで図書室を出て行きました」古角というのは悠の名字だ。俺の話を聞いて、舞野先生は額を押さえながら大きく息を吐き出した。「しまった、入れ違いになっちゃったか。古角が探していた本が見つかったから、渡したかったんだが……」「良かったら俺が明日渡しますか? 同じクラスですし」「いや、僕が自分で渡すよ。ありがとう……えっと……坂宮君」俺の制服の胸元についている名札を見てやっと俺の名前を言うと、舞野先生は踵を返して離れていく。行ってくれた……怒られなかったってことは、俺たちが何をしていたかには気づかなかったのか。良かったぁぁ。あからさまに俺が安堵していると、ケイロはもう見えなくなった舞野先生の背を追うように、さっきまで居た場所を睨んだ。「……あの男と古角は仲が良いのか?」「悠は昔から本をよく読んでるから、図書室にも頻繁に出入りしているんだよ。だから司書の舞野先生と雑談することもあるらしいし、好きな作家のことで話が盛り上がる時もある